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本田美奈子はどうでもいい

ありがとう って言い難いんだ

愛してる って恥ずかしいんだ

いつも

別に って言ってしまう


好きだから 僕は君の隣りで寝てる

髪の毛を撫でたくなる

口づけする


あぅ  

言い出せないよ

世界で1番大事に想ってるなんて

明日には 下手したら1秒後には

僕の記憶が消し飛んで

君の存在を忘れてしまったりしてしまうかもしれないのに

こないだなんか 探し物があって 本を手に取ったのに

何を探してたか忘れてしまったんだ

ふぅ 

そんなこと考えてたら 益々 愛してるなんて言えないよ

あぁ

やっぱ言えない
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by 60co | 2005-11-21 14:49 | 詩。

ショートすぎて、もはやテクノカット。2

「愛シテマス。」

を僕の心から言葉にコピペできれば

どんなに楽なんだろう
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by 60co | 2005-11-14 09:51 | ショート。

金閣寺。

金閣寺
三島 由紀夫 / 新潮社
スコア選択: ★★★★★

カツラが如何に美しいかについて語ってみようと思う。

そもそも美しいとは何か。ひとはありふれたものに美しさを語ることは無い。ありふれたものが美しいと形容する場合、ありふれたものの中に琴線に触れたものを見つけたからである。それは最早ありふれたものではないのだ。そして、ありふれたものと対をなすのは「貴重」である。貴重さというの四次元全てにおいて共通する図形である。それは儚さという言葉に置き換えることができる。永遠という時間の中で一瞬というものにひとは心を奪われることがある。と同時に永遠にも美しさを感じることがあるが、この場合、永遠というものが人間が手に入れることの出来ないものとして捉えられたとき、それは儚さであり、つまり美しさである。

芸術家の作品が後世に評価されるのは、作品たちがもう増えることはないし、その芸術家が新しい試みをすることは未来永劫無いからである。

では、カツラの美しさとは何か。

金閣寺の一節を引用する。

「肉体上の不具者は美貌の女と同じ不敵な美しさを持っている。不具者も、美貌の者も、見られることに疲れて、見られる存在であることに飽き果てて、追い詰められて、存在そのもので見返している。」

カツラは不具ではない。人間の知恵である。しかし、異質なものであるという点で同じ美しさを持つ。不具者をカツラで置き換えると、それはぴったりと当てはまる。

そう、小倉智昭の頭頂部は「見られる存在であることに飽き果てて、追い詰められて、存在そのもので見返している。」のだ!!

そして、カツラはまた別の点でも美しい。

カツラというものの存在理由はハゲだからである。ハゲがいなければカツラはこの世に存在しない。言わば、この世に条件付きで存在を許されているのだ。もし、明日、この世からハゲがいなくなればカツラは捨て去られ、記憶から消え、無に帰す。また、逝ってしまった髪の毛を忠実に模倣しようとしたカツラにハゲは遠い日の記憶を見るのである。物質から記憶に昇華したとき、それは美しくなる。思い出が美しいのはそのためである。そのカツラを通して在りし日の髪の毛の残像を見るのだ。それが儚さである。諸行無常の響きである。そして、一つの点に注目してもらいたい。鏡を見なければ人はカツラを付けないのである。中国から日本に道鏡がもたらさなければ、自分自身を見る機会がなければ、自分が如何に周りから「ハゲ!!ハゲ!!」と呼ばわれようともカツラをつけようとしないはずだ。

他人と自分の差異に違和感を感じ、アデランスの扉を叩くのだ。

しかし、カツラをつけたとしても、その他人からの視線と、頭皮の呼吸と残存している髪の毛の成長を妨げ、心理的、物理的な両面から髪の毛は命を磨耗し、消えてゆき益々、ハゲはハゲてゆく。

なんとカツラは無意味なものであるのか!!

そして、その無意味さがカツラを絶対的な美しさをそなえてゆくのだ。生きていくことに不必要な行為、認識が美を宿すのである。

そう、それは溝口の金閣寺、ハゲにとってのカツラなのである!!
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by 60co | 2005-11-10 12:49 | 読んでみた。

ショートすぎて、もはやテクノカット。1

恋愛というものは

悲劇性が伴わないのならば

物語足りえないのでしょうか
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by 60co | 2005-11-09 13:05 | ショート。

ライ麦畑でつかまえて

ライ麦畑でつかまえて
J.D.サリンジャー 野崎 孝 / 白水社
スコア選択: ★★★★

最初に断っておくけど、これは書評なんていうインチキなものじゃないんだ。今更、こんな歴史的名作とかって言われてる作品を書評なんてしたところで、僕の力じゃ、インチキよりもっとインチキで終わっちゃうんだからさ。だから、この文章を読んでサリンジャーを読んでくださいとか、読むべきだなんて説教垂れるつもりなんか、さらさら無いんだってことを知っておいてほしいんだ。ただ、僕は何をしたいかっていうとさ。芸能人のモノマネ大会みたいに、モノマネされてる人間のファンなら、どう考えても似てないと思うような、見た瞬間、チャンネルを100万回変えたくなるようなさ、そんなレベルの模倣をやりたいんだ。そうやって、最初っから言っときゃ、最後まで万が一にだよ。読んだなんて危篤な人に「時間を返せ」なんて夜な夜な脅迫電話がかかってくるなんて心配をすることもなくなるってもんだろ?ジョン・レノンみたいに、この本を抱えた人間に殺されるみたいなことになったら目も当てられないからね。でも、そういう人間も僕は嫌いじゃないんだぜ。世の中でキチガイって言われてる人間なんてのは、僕に言わせりゃ、意外と真っ当に物事を捉えてたりするんだよ。キモイとか言ってる人間なんてのは、そんなセリフ言う資格がある人間はほんと極僅かで、残ったほとんどの人間は反吐が出るくらいインチキな人間って相場が決まってるってもんさ。だいたい「微妙」なんて表現使うならだよ、そんな微妙なさ、つまり、微かに妙なぐらいな気持ちならさ、わざわざ口に出して言う必要は無いって僕は思うんだ。だから、そういう言葉を使っている人間が周りにダラダラ歩いていたりすると、僕は、ほんと、おしでつんぼの人間に憧れちまうんだ。本当だよ。おしでつんぼならさ、文字で会話すりゃいいんだからさ。いちいちイラツく必要も無いわけさ。だいいち、微妙なんて言葉使う人間にさ、紙とペンを渡してね、「微妙」って書かせようもんならさ、片仮名で「ビミョー」とか書いちまうんだぜ。それも顔文字付きでさ。感情表現を文字で書けない人間なんてのは僕から言わせりゃ、それこそ奴さんたちが言うところの「微妙」ってもんだぜ。ほんと、嫌んなちゃうよ。そんなこと書いてたらさ、飽きてきちゃったりするんだ。だって、昨日から僕は100時間以上ぶっとおしで文章を書いてるんだからさ、腱鞘炎で、これから半年は物書きできないってレベルなんだな。そんなんだからさ、次、読む本は三島由紀夫あたりを読んでみようと思うんだ。僕が残りの人生で読める本なんて、1日1ページぐらいしか読めない僕だからさ、どう多く見積もっても5冊が関の山なんだからさ、くだんない本なんて読んじまった日には、死んで地獄に落ちてしまったって、そのことを恨み続けるだろうよ。業火とか言う熱い熱いもんのなかに入ってさ、「熱い、熱い」なんて言ってしまうとするだろ?そうしたら、一緒に燃やされてる人間、みんな「熱い、熱い」って言ってるわけだよ。誰一人、「寒い」だの「痒い」だの言わないんだぜ。ずっと、キチガイみたいに「熱い、熱い」って熱唱してるんだぜ。ひょっとしたら輪唱みたいになっちまってるかもしれないよ。そんな貧しい表現力しか持ってないって自分で気づく日が来たら目も当てられないだろ。そんなくだんない本読んじゃったらさ、その本のことなんてほとんど憶えてないんだからさ、僕も「熱い、熱い」なんて言葉しか思い付かない訳だよ。それがさ、すんごい面白い本を読めたならさ、熱いなんてこと忘れて、主人公がその後、どうなったのか考えることができるかもしれないだろ。そうしたら「熱い、熱い」の輪唱中も、心此処にあらずというふうな具合になれるかもしれないんだ。それって悪くないだろ?
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by 60co | 2005-11-01 09:38 | 読んでみた。